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旧平沼専蔵別邸石積擁壁及び煉瓦塀
神奈川県横浜市中区日ノ出町

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交通:京浜急行線日ノ出町駅から徒歩4分
地図
概要 野毛山の一画にあるこの場所が、明治期に生糸、米穀物商で成功した横浜商人の平沼専蔵の邸宅地であったことを物語る貴重な物証です。石積方法は、亀甲積といわれ、原石の表面を六角形に加工し、亀の甲羅のような形に積み上げています。高い施工精度と構造的な特徴も含めると、横浜屈指の芸術的な擁壁と言えます。
特色 24時間 屋外
利用日時 24時間
長谷川伸の誕生の地
神奈川県横浜市中区日ノ出町

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交通:京浜急行線日ノ出町駅から徒歩2分
地図
概要 神奈川県横浜市(日ノ出町)の土木業の家に生れる。実母は横浜市泉区の出身で幼少期から別れて暮らし、後年『瞼の母』エピソードとして知られる「再会」を果たした。戦後侍従長を務めた三谷隆信の母親でもある。

実家が没落したため船渠勤め等に従事。明治44年(1911年)から都新聞社(現・東京新聞)の演芸欄を担当する記者となる。

大正3年(1914年)前後に「講談倶楽部」や「都新聞」に山野芋作のペンネームで小説を発表しはじめ大正11年(1922年)以降、長谷川伸のペンネームで作品を発表するようになる。大正14年(1925年)には大衆文芸を振興する「二十一日会」の結成へ参加し大正15年(1926年)都新聞社を退社後、作家活動へ専念した。昭和2年(1927年)、江戸川乱歩、土師清二、小酒井不木、国枝史郎らと「耽綺社」を設立、昭和8年(1933年)の「二十六日会」結成など大衆文芸や演劇の向上を目的とした活動においても知られるようになる。また主宰していた文学学校(勉強会)「新鷹会」の門下生には長谷川幸延、村上元三、山手樹一郎、山岡荘八、戸川幸夫、平岩弓枝、池波正太郎、西村京太郎らがおり、大衆文芸・演劇などに多大な活動をしてゆく。

昭和38年(1963年)、死去。79歳没。昭和41年(1966年)に長谷川伸賞が設立された。
特色 24時間 屋外
中村汀女の碑
神奈川県横浜市中区日ノ出町

地図
概要 女流俳人の第一人者であった中村汀女は、明治33年(1900)熊本市の江津湖のほとりに生まれました。県立第一高女(現第一高校)卒業、その18歳の暮れに詠んだ「吾に返り見直す隅に寒菊紅し」の句が認められて俳句を始めました。

 その後結婚、子育てのため句作を中断しますが、再開して「ホトトギス」同人となり、戦後「風花」を創刊主宰。家庭的な日常の中に、深い叙情性をおびた句を詠み、多くの家庭婦人を俳句に親しませました。

 ふるさとの「江津湖」を思い、母を恋した汀女、昭和54年(1979)熊本市の名誉市民となりました。昭和63年(1988)他界。江津湖湖畔に生家が残っておりましたが、現在では取り壊されています。
特色 24時間 屋外
美空ひばりの銅像(オルガン広場の案内)
神奈川県中区日ノ出町
イトーピア日本橋小舟町ビル7階

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交通:京浜急行線日ノ出町駅から徒歩3分
地図
概要 美空ひばりがよく訪れたという老舗の寿司屋(1953(昭和28)年創業)の前に美空ひばり像がある。店には「ひばり御膳」なるメニューもあり、全国よりひばりファンがたずねてくる。
吉田勘兵衛の碑
神奈川県中区日ノ出町

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交通:京浜急行線日ノ出町駅から徒歩2分
地図
概要 およそ350年前まで横浜の中心地として栄えている関内周辺は入り海でした。この入り海を埋め立て、広い田畑に開発したのは「吉田勘兵衛」です。幾多の困難を乗り越え、どのようにして「吉田新田」をつくったのか。「吉田勘兵衛」とはいかなる人物なのか。貴重な資料を基にここに公開する運びとなりました。各種教育、報道関連の方々にご利用いただける資料でございます。
特色 24時間 屋外
主要内容 吉田新田(よしだしんでん)は、現在の神奈川県横浜市中区および南区に跨る地域で開墾された新田。江戸時代前期に吉田勘兵衛によって開墾された。横浜発展の基礎を築いた新田である。
利用日時 24時間
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